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日本で生き続ける3つの消滅した米国ブランド
アメリカ・サンフランシスコ発の体験型ストア、b8taが全米の全店舗をクローズした。事実上の倒産であるが、興味深いことに日本法人であるb8ta Japanは継続される予定。
代表の北川さんによるエントリーによると “日本事業はお陰様で大変好調” とのこと。おそらく本国のアメリカよりも、日本の商習慣やユーザー体験、消費者の購買パターンとの相性が良かったと思われる。
海外ブランドにセカンドチャンスを与えてくれる日本市場
今回のb8taの例のように、発祥地のアメリカではうまくいかなかったが、日本ではヒットしている。そんなボン・ジョビ的 (失礼) な “Big in Japan” ブランドは他にもいくつかあり、それらストーリーも興味深いのでご紹介。
ローソン
国内コンビニTop3に入るローソンは、元々オハイオ州が発祥。1939年に酪農家のJ・J・ローソンが乳製品工場で、ミルクを販売するための店を始めた。当時の名前はローソンズ・ミルク・カンパニー。
当時はミルクを家庭に配達するのが一般的だったのを、お店で売り始めたのが新しかった。ちなみに、ローソンのロゴに牛乳の瓶が描かれているのも、ミルクストアから始まったのが由来。
その後順調に店舗を増やし、食品や日用品を販売するコンビニエンスストアに成長。オハイオ州外を含め、700店舗まで拡大した。
しかし、オーナーが交通事故によって他界したり、親会社によってローソンの身売りなどにより、アメリカにおけるローソンブランドは1985年に消滅した。
しかし、1975年から日本においてダイエーの100%子会社として、ダイエーローソン株式会社を設立したことから、日本でのビジネス展開が開始され、現在では誰もが知るコンビニチェーンの一つにまで成長した。ちなみに、現在の国内ローソンの店舗数は、アメリカとカナダのセブンイレブンの合計店舗数よりも多い。
TOWER RECORDS
本国では10年以上も前に既に倒産し、消滅してしまったと聞いて驚くブランドがある。レコードチェーンのタワーレコードである。創始者がいまだに日本でビジネスが継続しているのを目の当たりにし、信じられない表情を浮かべているのだから。
タワーレコードは1960年にラッセル・ソロモンが故郷のカリフォルニア州サクラメントにオープンしたのが最初である。その後、1967年にサンフランシスコ、1970年にロサンゼルスに出店し、成功を収めた。1980年には子会社タワーレコード・ジャパンが設立され、札幌に日本1号店をオープンした。
元々音楽好きの連中が集まって自分の好きなレコードの売買をすることから始め、映画館の建物を店舗にしたことがきっかけにTOWER RECORDSと名付けられた。その後、地元を中心に口コミでその存在が広がり、時代の波に乗って全米に店舗を拡大した。
そんな時期に、どうやら札幌に “勝手” にTOWER RECORDと表記したレコード屋さんがあるらしいとの噂を聞きつけ、どうせなら一緒にやろうということになり、日本1号店が札幌にオープンした。ちなみにその店舗は、本物の「TOWER RECORDS」ではなく、「TOWER RECORD」と誤って使用していた。
かの有名な、タワーレコードのコーポレート・ボイスである「NO MUSIC, NO LIFE.」は、まず日本支社で開発、使用され、その後アメリカ国内や海外でも採用されるようになった。
その後、1990年代後半にはタワーレコードは隆盛を極め、世界中に店舗を拡大し、HMVやヴァージン・メガストアなどの追随するブランドが生まれるほどになった。
しかし、2000年代に入り量販店でのCDの安売りや、ネットでの販売、そしてダウンロード共有などの急激な普及が進み、時代の変化に対応しきれず、2006年に倒産・全店舗が消滅した。
その一方で、タワーレコードのブランド自体は日本でも生き続け、渋谷店を中心に一般的に知られている。その様子は、2015年にはコリン・ハンクス監督による、ドキュメンタリー映画「オール・シングズ・マスト・パス(All things must pass)」によって紹介されている。
最後の方で、創始者のラッセル・ソロモンが渋谷のタワーレコードに訪れ、社員全員から拍手で迎えられるシーンは感動せざるにはいられない。
ミスタードーナッツ
ドーナッツの本場であるアメリカに住んでいる日本人に「アメリカにあったら嬉しいもの」と聞いて、「ミスド」との答えが返ってきた。
そう、日本のミスドは、アメリカのドーナッツと少し異なっている。でも実はミスドも元々はアメリカが発祥。
てっきり日本のブランドっぽいが、ミスドは1956年にボストンでスタート。創業者はハリー・ウィノカーで、義兄のウィリアム・ローゼンバーグと共に始めた。その後、ローゼンバーグはフランチャイズを売りたかったが、ウィノカーは反対したため、ローゼンバーグは自分の道を歩むことになった。それが現在のダンキンドーナツである。
しかしながら、ウィノカーはミスタードーナッツ1号店の成功によって、その後フランチャイズモデルを導入。1970年までに、ミスタードーナツは北米で275店舗にまで拡大。1980年代のピーク時には、北米で550店舗を展開していた。
ウィノカーとローゼンバーグは、1970年にダンキンドーナツが日本1号店をオープンすると、1年後にミスタードーナツも大阪府箕面市に出店するなど、互いにしのぎを削っていた。
ミスタードーナツは、ウィノカーと株式会社ダスキンの創業者である鈴木清一氏とのパートナーシップにより日本に上陸。鈴木氏はアメリカに渡ってビジネスを学び、ウィノカーと出会ってから、ドーナツ屋を日本に持ち込むことを決意したのである。
当初、日本市場を狙う他の企業と同様、ミスタードーナツも米国での事業をそのままコピーしたものであったが、ダスキンは独自の路線を展開することを模索し始めた。
ダスキンの倉庫の中に、アメリカのミスタードーナツ店の実物大模型を密かに作って、市場をテストしたのだ。ダスキンの営業マンにドーナツを試食してもらい、内装についてコメントをもらった。しかし、彼らはあまりいい顔をしなかった。
カウンターが高すぎる、椅子が広すぎる、コーヒーカップが重すぎる、ドーナツが大きすぎて味がおかしいと。日本人の味覚にはナツメグが多すぎるなどのフィードバックが寄せられた。
そこで、メニューも含めてすべてを変更した。高級感あふれる雰囲気に生まれ変わった。日本ではドーナツは子供のおやつというイメージが強かったので、値段を上げ、シアトルのおしゃれなコーヒーショップをイメージした店舗にした。それによって成功を収めた。
広告には人気芸人を起用し、子供向けのキャンペーンを行い、バブル崩壊後は値下げを行うなど、国内の状況に合わせ、臨機応変な経営を進めた。
一方本国のアメリカでは、スターバックスやダンキンドーナツが1990年にミスタードーナツブランドを買収し、自社店舗に転換したことで、ミスタードーナツはアメリカ市場から追い出されることになった。
重要なのはブランドローカリゼーション
これら3つの例が示すように、元々の発祥の地では消滅 or かなり縮小しているようなブランドでも、日本で花開いているケースもある。
特に欧米のブランドは日本でも受け入れられやすく、上手にローカライズすることができれば、日本市場は海外ブランドの救いの地になってくれるのかもしれない。
筆者: Brandon K. Hill / CEO, btrax, Inc.
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