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はじめてサンフランシスコに来たときの事
ここ数日でサンフランシスコはかなり暖かくなり、春を飛び越えて夏の陽気を感じる。そして、ふとした瞬間に懐かしい香りが漂う。
16年前の今日、4月25日に初めてサンフランシスコに到着した際に感じたのと同じ青い空と透き通った空気が今も変わらずこの街を包み込んでいる。
日本の高校を卒業し、1997年にサンフランシスコに来た。今から思い返すとその当時は全くをもってパッとしない高校生活を3年間過ごし、そのうえ受験にことごとく失敗し、ニートとフリーターをしばらくした後、居場所が無くなり日本からはじき出されるようにしてサンフランシスコに来たようなものだった。
高校一年の頃には全く根拠も無く世界で活躍する大きな夢だけを抱いていたが、学校の成績は散々で、得意だったのはあまり評価の対象になりにくい、美術や音楽、技術や図画工作などの全て副教科。そのうえまわりには満点だと思われていた英語だって、発音号が分からないし、日本の学校の不自然な英語のテストは得意ではなかった。
学校では劣等生、私生活も非リア充、やりたい事も決まらず入る大学も無い状況で、16歳の頃の夢は完全に打ち砕かれ、高校を卒業する頃には完全な負け犬だったと記憶している。でもその事が今考えると人生の最大の転機になった事が今でも不思議に感じる。
アメリカのカレッジには入試が無い事、3年になるまで専攻する学部を決めなくても良い事など、自分にとって理想的な環境である事を知り、安易な考えだけで居心地の悪くなった日本を飛び出した。
元々父親の出身がニュージャージーだったこともあり、東海岸に住んだ事はあるが、カリフォルニア州に来るのはその時が始めて。行き先をサンフランシスコにした理由も西海岸は暖かくて日本にも近いし,ロスアンゼルスよりも安全そうだからというだけの理由。
事前にサンフランシスコの事を調べもせず、ケーブルカーもゴールデンゲートブリッジの存在も知らなかったし、ましてWebやテクノロジーの中心地である事も全く知識がなかった。当然知り合いや、つてがあった訳でもない。そして、学校や勤務先、滞在先すら決めずに文字通りの行き当たりばったりで飛行機に乗ってしまった。
その当時はスマートフォンはもちろん無いし、テクノロジーに疎かった自分はパソコンや携帯はおろか、メールアドレスすら持っていなかった。そんな情報無装備状態のまま始めての土地に到着してしまったのはかなり不安でいっぱいだったが、それでもどこまでも続く空の青さを見た瞬間、自分がこれからの人生を過ごすのはここだ、と直感的に感じた。
サンフランシスコ空港で必死に電話帳で安ホテルを探してみたが、そもそもアメリカの電話帳の見方が全く分からない。わらにもすがる思いで何とかシャトルバスのお兄さんに教えてもらい滞在先を見つける事が出来た。翌日から全く知らない街で住む場所を探し、銀行口座を開き、なんとか仕事も見つけた。そんな日々を通して、それまでの悶々とした日々から解き放たれ、全く何も無いところから全てをいちから始める心地よさを感じ、自分が生まれ変わったような気持ちになれたのが最高だった。
不自然な規制と画一的なライフスタイルを求められる日本と対照的に、サンフランシスコという街の自由で明るい雰囲気、それぞれに自分らしい生活を過ごしている人々、ホームレスでもハッピーな日々を送っていると感じるぐらいに皆マイペース。バスの運転手だって、仕事中に乗客を乗せたまま急にバスを停め、勝手にサンドイッチを買いに行ってしまうような何でもありのカルチャーなどを感じていると、生きていく事に特に大きな理由すらいらないんじゃないかと思えた。そんな事が理由にもなり、移住してすぐにこの街が大好きになってしまった。
アメリカの他の州と比べても比較的新しいカリフォルニアは伝統よりも新しく来た人や、違う考えの人にもかなりオープンだ。この辺の人々の定番フレーズは、”That’s cool” (それ、良いじゃん) と “Sure, why not?” (もちろん大丈夫だよ)。 車の免許を取るときだって、実地試験だけで教習の無いアメリカでは自分で車を持ち込まなければいけないが、知り合った楽器屋の兄ちゃんがそんな事情を知って快く車を貸してくれた。
そして “予定通り” 入学試験の無いカレッジに専攻も決める事も無く入学し、2学期目のマルチメディアのクラスがその後の人生を決定付けた。髪の毛がピンクで下にピアスの入ったまるで女性版マリリンマンソンのような先生が言った、「この業界あらゆる媒体とテクノロジーを活用して表現が出来るのよ。それも好きな格好で、好きな音楽を聴きながらでも仕事が可能だし。」の一言に “もう絶対にこれしかない” と確信した。
日本に居た頃は自分の好きな事も見つからず、興味がある事を仕事に繋げる事は不可能だと思っていたが、アメリカに来て学生時代にクリエイティブとテクノロジーに一生関わっていくと決める事が出来たのは非常にラッキーだったと思っている。そして、自分のバックグラウンドでもある日本とも関り、今後多くの人々に貢献出来る事が出来れば、当時はは漠然とだが強く感じていた16歳の自分への約束を果たすことが可能かな、とも思ってしまう。
偶然にもWebやスタートアップ、イノベーションの中心地に住む事が出来た事、自分の進む道を見つけられた事、大好きな街に出会えた事、そして何よりもこれまで様々な人々に支えられ、ここまで来れた事、そんな事を16年前にサンフランシスコに始めて来た今日の日を機会に多くの方々に今一度感謝したいと思う。この街の空は今でもいつも青いし、今日も空気はあの時と変わらず透き通っている。
筆者: Brandon K. Hill / CEO, btrax, Inc.
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