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デザイン思考を公共サービスへ!日本と世界の事例3選
※この記事は2021年1月に最新の内容へ改編しました。
2018年8月9日、特許庁は庁内にCDO(チーフ・デザイン・オフィサー)として統括責任者を設置し、その下に「デザイン経営プロジェクトチーム」を立ち上げることを発表した。これは、中央省庁が行政サービス向上のためにデザイン思考を本格的に取り入れた初の例である。
米国を起点として提唱されてきたデザイン思考は、日本においてもここ数年間でその認知度を高めてきたが、これまでその活用を積極的に行ってきたのは民間企業であったように感じられる。
2010年頃から日本においてもデザインコンサルティングファームの参入、もしくは設立が増加し始めたが、彼らの主なクライアントはこれまで民間企業に偏っていた。このような偏りが発生した原因はおそらく、公の機関がデザイン思考のような馴染みのない概念を導入するとなると、職員一般の間での理解・共感の不足、牽引するリーダー人材の不在、また各種規制との兼ね合いなど、公共機関特有の問題が数多く存在するためであると考えられる。
そもそもデザイン思考とは?そして、デザイン思考を公共機関に生かすメリットとは?
そもそもここでいうデザイン思考(デザインシンキング)とは、一言で表現するとユーザー視点でヒットする商品やサービスを作り出すためのマインドセットのことである。目的はユーザーに愛され、ヒットするプロダクトないしはサービスを生み出すこと。それに対する考え方とアプローチのことである。
振り返れば、民間企業が2010年代前半からデザイン思考を取り入れ始めていたのに対し、特許庁の例から分かる通り、中央省庁など公的機関では7〜8年遅れて導入されている。
しかしながら、デザイン思考の本質は「ユーザー起点で問題解決をする」ことであり、この点、そのユーザー・提供するサービスの幅が極めて広い公共機関こそその効果を感じやすいものであると考えられる。
複雑に捉えられがちなデザイン思考も、本来は「それを使う人が最も心地よい体験をするにはどうしたら良いか?」というシンプルな問いかけに過ぎないのであり、民間・公共関わらず、より広く活用されていくべきなのである。
そこで今回は、公共の場でのデザイン思考活用を進めるためのヒントとして、日本国内外における、地方自治体・教育機関・医療機関といった公共財的機能を持つ機関でデザイン思考的アプローチが活用されている事例を紹介する。
【地方自治体】市民協働プロジェクト(愛知県長久手市)
名古屋市の東側に隣接する愛知県長久手市は、人口約6万人のいわゆるベッドタウン。この一見どこにでもありそうな街は、東洋経済新報社がまとめる「住みよさランキング」で全国3位・愛知県内では1位を獲得した。
また住民の平均年齢が38.6歳と、2017年の国勢調査では「日本で一番住民の平均年齢が若い街」となった。人口増加率も全国で6番目を誇り、移住者が年々増加していることからも、住民の満足度の高さが伺える。
その満足度の一端を担っているのが、同市のデザイン思考活用である。長久手市では、市長を中心にデザイン思考を活用し、住民とともに市の課題解決に取り組む姿勢が確立されつつある。
長久手市では以前、住宅地付近の雑木林にガイガラムシという害虫が大量発生した。同市役所は市民による通報の後、通常の対応プロセスである市役所職員による害虫駆除という対策ではなく、まず専門家に依頼して大量発生の原因を究明することにした。
その結果、今回の大量発生は、その数年前に別の害虫を駆除する際に使用した殺虫剤によってガイガラムシの天敵であるコバエを死滅させたことが原因であることが判明した。
そして、今回も同じように殺虫剤で駆除してしまうとさらに生態系が崩れ、別の害虫の大量発生を招く危険性があるため、大量発生を防ぐには雑木林を伐採するしかないと結論づけられた。その後、住民と市役所職員は話し合いを重ね、かつての雑木林の生態系を取り戻そうという考えになり、住民と市役所は協働して対策にあたるようになった。
問題を「解決する」市役所から、問題を「市民と共に見つける」市役所へ
このような住民との協働体験をきっかけに、長久手市長は苦情がきたらすぐに排他的論理で対応する従来の姿勢に疑問を持った。そして、市役所の体質改善を進めるために、デザイン思考の手法によって解決を目指す体制を整えることにした。
その方針によって生まれたのが、一人ひとりに役割と居場所がある(=立つ瀬がある)街を目指す、「たつせがある課」である。以下はたつせがある課の取り組みの一部。市民と市役所職員が一緒になって街づくりを行っている。
- 市役所職員が時代に求められる職員になることを目指す「職員勉強会」
- 市民と職員がイベントを通じて共に地域の課題を地域で考え取り組む「たつせがあるフォーラム(+市民交流会)」
- これまでにない新たな視点と発想で長久手の魅力や課題を発見し、その課題を解決するための新たな市民協働プロジェクトの企画・運営を行う「市民ワークショップ」
このように長久手市では、街にある課題に対してその場しのぎの対策をとるのではなく、本当は何が問題で、何を解決すべきなのかという課題特定のプロセスを、市が中心となり住民を巻き込んで行っている。
「ユーザー視点」「優れた解決策よりも優れた問題設定が大切」といったデザイン思考のエッセンスを、街づくりに上手に活用した例であると言えるだろう。
【教育機関】イノーバ・スクールズ(ペルー)
ペルー出身の起業家・資産家であるカルロス・ロドリゲス-パストール(Carlos Rodriguez-Pastor)氏は、デザイン思考を教育機関に活用した。彼は、母国ペルーにおける、高額な教育費のかかる私立学校か荒廃化した公立学校しか選択肢のない偏った教育システムの現状を変え、中流階級の子どもたちに別のオプションを与えられないかと考えた。
そこでパストール氏は、「ペルーの中流階級の子供達が月$100程度で国際基準の教育を受けられ、かつ今後の拡大を見据えた包括的な学習体験のデザイン」という大きな問題設定をした。
このプロジェクトにはデザインコンサルティング企業のIDEOが参画し、カルロス氏の想定どおりの月額授業料$130というイノーバ・スクールズ(Innova Schools)が完成した。
イノーバの設計は、世界中の教育機関や教育プログラムのみならず、小売やホスピタリティー、ヘルスケアなどの領域におけるデザイン思考活用の例も参考にし、教師や生徒など様々なステークホルダーを巻き込んで進められた。
同校はその設立以来国際的な注目を集めており、最近ではアメリカ・インダストリアル・デザイナー協会が主催するインターナショナル・デザイン・エクセレンス賞において最高賞を受賞している。
このように世界的に評価されているイノーバを支えるのは、美しくデザインされた校舎、生徒たちがテクノロジーに精通し、自主的に学ぶことを促す教育システム、そして革新的な教育を持続可能的に提供するための教員育成制度、である。
新しい教育体験を包括的に提供するイノーバ・スクールズの3つの軸
美しく開放的な学校空間
パストール氏とIDEOは、イノーバは美しくあるべき、という方針で初めから一致していた。なぜなら、ペルーの公立学校は子供達にとって「監獄」のようなひどい状況にあり、それゆえ800万人いるペルーの子供のうち約4分の1が学費の高い私立学校に通わざるを得ないという状況にあったためである。
それゆえ、イノーバは可能な限り開放的で広々とした学校空間を目指した。そこには、現在やむを得ず子供を私立学校に通わせている親たちが、経済的な問題を気にせずとも自分の子どもたちが素晴らしい環境の中で学んでいるという自信を持てるように、というパストール氏の思いがあった。
また、幼稚園から日本の高校2年相当の学年まで全部で約3万1000人が学ぶイノーバでは、それぞれの生徒に合わせた柔軟な学習体験を提供するために、校舎がモジュラー方式になっている。壁や椅子は全て可動式であり、教師たちが素早く、簡単に授業を始められるよう設計されている。
自主的な学びを促す教育システム
イノーバにおける一日の授業は大きく2つのセクションに分けられている。半日は30人程度の少人数クラスで、まず、教師から最小限の指導を受けつつ協力して問題解決に取り組む。残りの半日はKhan Academyなどのオンライン学習サイトを利用した自己学習の時間に充てられる。
また、このようなテクノロジーを活用した21世紀型の教育に加え、生徒たちが気分転換をし、創造力や柔軟性を養えるよう、開放的な空間を活用した屋外での授業も行われている。
さらに、主体性を養うためのイノベーションプログラムが設けられており、子供達は社会問題の解決に取り組み、学期の終わりには解決案のプレゼンテーションまで行っている。
優れた教育を持続可能的に提供するための教員育成
プロジェクト開始当初からこの新たな学校システムを遍く広げていくことを見据えていたパストール氏は、優秀な教員の育成システム作りにも並行して取り組んだ。
その結果イノーバでは、新しい教育システムを迅速に展開することを目指して2万に及ぶ課程が整備された教員用のトレーニングセンターを設立。ここではベテランの教員が若い教員を指導する仕組みが整っている。
このような先を見据えた教員教育システムの甲斐あって、イノーバは2015年2月にはペルー最大の私立学校ネットワークとなり、2018年までに50校、生徒数4万人へと急速な拡大を実現している。
このようにイノーバは、教育体験を「生徒にとって」「生徒の親にとって」「教員にとって」といった様々なステークホルダーの視点に寄り添う形で包括的にデザインした優れた例であり、ユーザーに寄り添うデザイン思考が活用されて生まれたアイデアであると言える。
【医療機関】メイヨー・クリニック(アメリカ)
メイヨー・クリニックは、米ミネソタ州ロチェスター市に本部を置く総合病院で、メイヨー・ヘルス・システムとして、ミネソタ州内のみならずアイオワ州、ウィスコンシン州でも病院や診療所を運営している。当病院は、2002年にSPARC Innovation Programを立ち上げ、世界で最も早く病院に「デザイン思考」を導入した例として世界的に有名である。
このメイヨー・クリニックが立ち上げたSPARC Innovation Programは、デザイナー、医師、検査技師、看護師、事務員、患者などすべての関与者が集まってアイデアを考え、プロトタイプを作り、現場で実験するためのデザインラボプログラムである。
ここでは、「観察→プラン→実行→改善→伝える」といったデザイン思考のフレームワークを用いて潜在的な問題や機会を捉え、その課題ごとにプロジェクトが発足する。
初期のプロジェクトとしては、診察室のデザインが100年前とほとんど変わっていない事実から潜在的な問題を洗い出し、診察室の機能やレイアウト、内装デザインを再デザインする、といった取り組みが行われた。
このプログラムは、2008年にMayo Clinic Center for Innovationへと形を変えて発展し、現在ではサービスデザイナー、プロジェクトマネージャー、ITスペシャリスト、医療従事者からなる50名以上のフルタイムのスタッフが参画している。彼らは、64,000人の従業員と年間50万人の患者のために、日々ヘルスケアソリューションの開発に取り組んでいる。
最近のプロジェクトでは、「予約に向けて準備するべきことがわかりやすく整理されていて欲しい」「検査や医療プロセスについての細かな情報を知りたい」「病院内のマップが欲しい」といった、ユーザーインタビューから浮かび上がってきた患者自身のニーズに応えるために、「Mayo Clinic App」というメイヨー・クリニック専用のアプリを開発した。
このメイヨー・クリニックは、いわゆる「デザイン思考」ブームが来る以前から、デザイン思考的なユーザー起点のアプローチを採用しているという点が興味深い。
流行っているから取り入れてみよう、ということで始まったのではなく、患者のために何ができるか、ということを突き詰めた結果がこのようなアプローチであった、という事実からも、デザイン思考のエッセンスが「ユーザー視点」であるということが伺える。
最後に
民間企業に比べ、数多くの規制やそのステークホルダーの多さゆえ変化することが難しいと思われがちな公共機関においても、少しずつ今回紹介したような事例が出始めている。
これらの事例に共通するのは、「行政」「教育」「医療」といった個別の領域に捉われず、柔軟な「サービス提供者」としてユーザー体験を最適化しようとしている点ではないだろうか。
これら3つの例は、単にデザイン思考というツールを用いたから優れているということではなく、いかにそれぞれが抱えているユーザーに対して謙虚に、彼らの行動を最も心地よいものにできるかを突き詰めて考えたからこその成果であるように思われる。
その担い手が民間企業であるか公共機関であるかに関わらず、「まずユーザーの視点に立つ」というデザイン思考のコアであるシンプルなスタートポイントから始めてみると、そのハードルはグッと下がるのではないだろうか。
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