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地元アメリカ人が感じたMUJIとの複雑な関係 – サンフランシスコのMUJIストア体験談
ベーシックで洗練された家具や雑貨で人気の無印良品(MUJI)。日本人なら誰もが知っている「無印」ブランドですが、今では日本だけではなく、アジアやヨーロッパをはじめ世界32カ国で1,136店舗を展開しており(2023年11月)、各地でファンを集めています。
そして最近、ここサンフランシスコにもやってきました。btrax社オペレーションマネージャとして働くシリコンバレー出身のニックは、もう10年以上も無印を愛用しているようです。
日本人顔負けの無印ファンである彼は、MUJIのことをどんな風に見ているのでしょうか?
※この記事の原文(英語)はこちらから:My Status With Muji – It’s Complicated
MUJIと恋に落ちた私
私が初めて無印良品のミニマリズムに触れたのは、意外にも英国ロンドンのオックスフォードストリートの上でした。当時10歳だった私は、祖母に連れられてヨーロッパを旅行していました。祖母は私にヨーロッパの芸術や建築を見せようとはりきっていました。
そんな祖母の期待とは裏腹に、そこで私の印象に強く残ったのは日本生まれのナチュラルで洗練された無印の製品たちでした。
その日からアメリカに帰国するまで、私は毎日ショップに連れて行ってもらえるよう祖母に頼み込みました。当時アメリカには無印の店舗はひとつもなかったのです。
無印良品の美しいラインや、シンプルで優雅さを兼ね備えた製品を見て、私は心が洗われるようでした。
最初に無印ファンの心を引きつけるのは、文房具や食器たちです。余剰なデザインを排除し、その目的を果たすために作られた文房具は、私をとりこにしました。白・黒・灰色の食器たちも同様のメッセージを発していました—”方法ではなく、目的にフォーカスすること。”
MUJIはいったいどこで何をしていたの??
90年代を過ぎるまで、無印を忘れられず苦しい日々を過ごしました。私は今になっても、当時なぜ無印がアメリカに展開しなかったのか理解できません。
特に当時は、No Logoと呼ばれる本がベストセラーになっていたし、またスターバックスやマイクロソフトなど巨大企業の行き過ぎたブランディングが人々の反感を買っていたからです。
強大な力を持った彼らはそのブランド力を振りかざし、地元に根付いていた小さなビジネスを次々に食い荒らしていきました。
一方「ブランドを持たない」という名の「無印」ブランドは、それらの巨大企業とはまったく異なり、No Logoのフィロソフィを実現することでブランドを作り上げていたのです。
なかなか腰を上げない無印を差しおいて、そんな人々の声を受け止める企業も現れ始めていました。Googleのモットー「Don’t be evil」に代表されるように、90年代以降から、各企業の方向性に変化が現れ始めていたのです。
同じ頃、企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)が叫ばれるようになり、地元や地域社会への貢献が重要視されるようになれるようになりました。
これらに関して当時の無印は、先に述べたように他社よりも何光年も進んでいました。もしそのタイミングで米国進出していれば、米国内でも注目を集められたかもしれないのに―残念。
私はそれから5年間を日本で過ごし、思う存分に無印ライフを堪能できたので、ずっと感じていた寂しさはいくらか和らぎました。
2009年に帰国したときは、ようやく無印が米国に進出していましたが、ニューヨーク近代美術館(MoMA:Museum of Modern Art)のショップのようにまだ場所が限られていました。
しかし最近ついに、サンフランシスコにショップがオープンしたのです!
MUJIショップがサンフランシスコに! でも…いったいどこにあるの??
無印がサンフランシスコにやって来ることを聞いて、私の心臓は止まりかけました。ついに彼らのケーキが手に入る! サンフランシスコにいながら、あのミニマルで繊細なカーディガンを衝動買いできる! でも場所は…9thストリート? それって高速道路の近くのあの場所?
正直に言って、MUJIサンフランシスコ店の場所のチョイスは最悪なものでした。
ニューヨークではタイムズスクエアやSOHOといった賑やかな場所を用意して、ケネディ空港(ニューヨークの主要空港)にまでもショップ(MUJIi to GO)を作ったというのに、どうしてサンフランシスコではトレーダー・ジョーズ(Trader Joe’s:大型スーパーマーケット)とコストコ(Costco Wholesale:大型量販店)の近所という立地を選択したのでしょう?
また、海外のショップでは食品の扱いがありません。あの作り込まれたカレーやパスタソース、洋菓子などは結局おあずけのままでした。
それに加えて、サンフランシスコでの無印の存在は、皮肉にも同郷日本からやってきたユニクロの影に隠れてしまっていました。サンフランシスコの中心部・ユニオンスクエア近くに開かれたユニクロ支店のオープニングイベントは、それは盛大なものでした。
これは無印のせいではないかもしれないけれど、ショップは私たちのオフィスから比較的近いのにも関わらず、まだ数回しか行ったことがありません。以前の熱烈な通いっぷりからはひどく変わることになってしまいました。
90年代テイストのまま
サンフランシスコのショップを訪ねた私は、無印に欠けているのはその場所だけではない、と感じました。彼らが出遅れている間に、他の企業が追いついてきてしまったのです。
例えば家具について見てみると、無印が提供するもののほとんどはIKEAに取って替えられ、さらに安価で組立てもしやすく、ベーシックな家具が手に入るようになりました。
また洋服に関しても、サンフランシスコ生まれのギャップやバナナリパブリックが「No Logo」のトレンドを取り入れ、ニュートラルでベーシックなアイテムを扱うようになりました。
ずっと変わること無く守られている無印のシンプルさやその美しさは、90年代当時ほど求められていないのかもしれません。無印のショップを訪れるたびに、アラニス・モリセット(90年代に活躍した女性歌手)の唄を聞いているような哀愁を感じます。
「No Logo」ブーム後のアメリカで、無印が再び注目を集めることはできるのでしょうか?
あるいは、ロンドンで成功した当時のモデルを適用するのがいいのかもしれません。洗練された立地と、説明の要らないディスプレイ。そこには無印ファンを確かに引きつける、文房具や食器があればいいのです。
写真撮影:Nick Sturtevant
文・訳:井上 太郎