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レールを外れた僕らは自分たちのレールをデザインした
10月12日に東京、渋谷のGoodpatchオフィスにてGlobal Designer Happy Hourと呼ばれるイベントが開催された。このイベントは、今後デザイナーがグローバルに活躍するために必要なスキルやマインドセットなどを学ぶためにbtraxが主催し、スピーカーにはbtrax, Goodpatch, IN FOCUSそれぞれのCEOが参加した。
実はこれ、これまで開催して来た中でも最も自分が”やりたい”と思ったイベントである。それもかなり個人的な理由で。というのも、スピーカーのGoodpatchの土屋尚史とIN FOCUSの井口忠正の両者は共にbtraxの卒業生でもあり、これまで一緒に仕事をして来たスタッフの中でもとても印象に残っていたからである。
参考: 世界を相手に戦えるか?海外志向のデザイナーへの助言|Goodpatch×btrax×IN FOCUS
〜 ストリートで鍛え上げられた反逆児 〜 井口忠正 (Masa)
渋谷の道玄坂付近の裏通りにあるさびれたコンビニ店員時代に誘われ、近くのクラブでマネージャーとして働いていた青年は、幼い頃から写真やデザインに憧れていた。とある晩にクラブに遊びに来たヒッピー風のミュージシャンに「俺の友達がサンフランシスコでデザイン会社をやってんだけど、Masa、誰かデザイナー知らない?」の言葉に「俺でよければ行かせてもらえませんか?」と答えた。
実は彼、以前にグラフィックデザイナーの弟子として修行したことがあったのだが、その奥の深さと業界の厳しさに少し参っていた。しかし、デザインへの強い情熱だけは持っていた。クラブで外国人との仕事もしていたので海外への抵抗も少ない。
ただその当時はHTMLやUIなどのWebデザインに関しての知識はまだあまりなく、サンフランシスコに来る前にWebに関してのスキルを身に付けなければならなかった。なんせ面接時に”Webデザインもある程度できます”と言ってしまったものだから。
デザインへの情熱が誰よりも強い彼は短期間で猛勉強した。サンフランシスコに来てからも連日会社に夜遅くまで残り、単純作業や雑用が多い”下積み”の日々が続いた。それでも仕事が早く終わった日などは市内のギャラリーやクラブでデザイン系のイベントに参加し、フォトグラファーとしても活躍した。
仕事ではアメリカ人のスタッフにも自前の英語でガンガン喧嘩するし、社長に対しても「ブランディングの本当の意味ってわかってますか?」と発言するなど、かなりとんがっていた。
Masaはクリーンなタイポグラフィー、モノトーンを基調としたデザインと写真の合わせ、そんなクラシックなスタイルを奇抜なインタラクティブWebに載せるスタイルを自分のものにし、周りの目を気にしせずにとことん追求した。当時の彼のナイフのような切れ味は、上司の自分としても油断のできない存在だった。
デザインを語る時の眼光は鋭く、一切の妥協を許さない。現代では少なくなって来ている”職人気質”を感じさせた。今年久しぶりにサンフランシスコにて再会した際にも相変わらずのキャラ。むしろその切れ味はより一層鋭くなってる気がした。
仲間を大切にする彼は、btrax卒業後日本に戻り、凄腕デザイナーの仲間と共にIN FOCUSを設立した。
デザイナーに必要なのはセンスか努力か – 井口忠正×Brandon 2人のデザイン会社CEOが語るデザイナーに必要な才能
“デザインオタク”達で構成されているこの会社は本当にすごい。企業やブランドの”イメージ”をビジュアル化させる能力においてはおそらく日本でもトップクラスというか、世界レベルだろう。
洗練されたスタイルと無駄のない表現方法。それにプラスして自分たちの得意技もしっかりと持っている。Masaがサンフランシスコにいた時に強く思い描いていた世界観をしっかりとデザインできている。そして一緒に仕事をしていた時に僕のこの一言を具現化してくれて本当に嬉しかった。
勝ちたいなら他社と戦うんじゃなくて、誰も勝負できないスタイルを持つことを学びました
〜 度胸と運の良さが武器の優しい努力家 〜 土屋尚史 (Fumi)
Masaが鋭いナイフなのであれば、現Goodpatch CEOのFumiは”丸み”が特徴だろう。見た目の雰囲気だけではなく、その優しさと誠実さは相手の心を開かせる力を持っている。その人柄で彼の周りには多くのスタートアップ起業家が集まり、中にはすでに大きな成功を納めている人も少なくはない。
そして意外なのが彼の度胸と行動力。そしてタイミングと運の良さだろう。サンフランシスコに来ると決めたきっかけ、その後のアクション、来たタイミング、その後の展開など、0.1%以下の確率でしか成り立たないような現象が次々と起こっている。
大阪で、さえないサラリーマンをしていたスタートアップが大好きな若者は漠然とシリコンバレーに憧れ、国内のIT系イベントにも積極的に参加。そこで当時のDeNAのCEOであった南場さんのセミナーでの”成功したいなら多国籍チームを作りなさい。シリコンバレーではそれが常識です。”の発言に感化され、”そうだ、シリコンバレーに行こう!”と決意。
コネもプランも全くなかった当時、わらをもすがる思いで、周りの人々にツテがないか聞きまくった。運よくChatWorkの山本社長が「一回食事したことのある人ならいるよ」とbtrax社のCEOのBrandon Hillを紹介してもらった。早速連絡し、面接のアポを入れた。
btraxのCEOは名前も見た目もアメリカ人、面接も当然英語だろうと思い、サンフランシスコへの10時間のフライト中、寝ずに英語での面接の練習を行った。それでも英語は全く苦手。しかし、奇跡的に面接は日本語だった。通常btraxでの面接はアメリカ人の人事担当者が英語で行う。その時は”偶然”担当が休みだったので、日本語がペラペラのCEOが直接行った。
即日採用が決まり安堵していたその晩、日本では3.11の東日本大震災が起こった。そう、出発が1日遅れていたらフライトがキャンセルされていた。そして、その時にサンフランシスコに一緒にいたのが当時東大の大学院生で、後にGunosy(グノシー)を設立する関くんだった。
Fumiはサンフランシスコに奥さんと8ヶ月の赤ちゃんも連れて来ていたが、ある時翌週から住む家がなくなる自体が発生。途方にくれていたが、CEOの助けもあり、なんとかなった。英語で行われる社内ミーティングでは理解できない部分をCEOに補足してもらったり、時には通訳してもらう事も少なくなかった。
そんなギリギリを攻める彼は、地元で開催されるスタートアップ系のイベントや外部とのミーティングは必ず便乗同行し、得られるものは全てゲットした。そこで体験した”衝撃”がその後の彼の人生を大きく変化させた。
日本に戻り、凄腕デザイナー/エンジニアの友人と共にサンフランシスコで学んだカルチャーを日本でも広げるべくデザイン会社を設立する。しかし、しばらくするとその友人が渋谷の大手IT企業に引き抜かれ、案件もなくなり、お金もそこをついた。ひとりぼっちになった。でも諦める選択肢はなかった。亡くなったおばあちゃんがこっそり残してくれた貯金を頼りにサンフランシスコで一緒だった関くんのGunosy(グノシー)のUIを手伝った。
そしたら奇跡的にそのタイミングでGunosyが大ヒット。ここぞとばかりに実績として紹介。問い合わせも増え、スタートアップ系のサービスを次から次への受注。投資の話も入って来た。それも偶然サンフランシスコで知り合った方が働く会社から。そのネットワークもあり、無事投資を受け、会社は急成長し自社サービスもリリースした。
彼のこの活躍は非常に嬉しかった。btraxの歴代インターンの中でも群を抜いて冴えなかった雰囲気のFumiの人柄、行動力、そして努力は見て来たから。彼のような人がちゃんと評価される日本は良い国だとも思った。いつもギリギリ、0.1%の奇跡を起こした彼も、ある時こんな事を言ってくれた。
一人になっても諦めなかったの、Brandonさんが同じような経験をしても諦めなかったっていう経験を聞いてたからですよ
僕らの共通項は”行動ファーストの非エリート”
僕たち3人はそれぞれ異なるスタイルとサービス内容 (GoodpatchはUI, btraxはUX/サービスデザイン, IN FOCUSはWeb/ブランドデザイン) の会社を経営しているが、共通点は非エリートである事。そもそも日本からbtraxにくる人の多くは海外ですでに活躍していたり、東大、慶応などのトップスクール出身者が多い。ある時期なんかはあまりにも慶応生が多いため、慶応じゃないとアメリカに入国できないんじゃないかと思ったほど。
でも、実はMasaもFumiも大学を出ていない。僕自身はサンフランシスコの大学を卒業しているが、日本ではどこの大学にも入れないほどの落ちこぼれだった。そんな世の中のレールから外れた僕たちには、自分の力で切り開いていくしかオプションが無く、自分たちでレールをデザインするしかなかった。
でも失うものもないし、世の中の通常概念からは否定された事による反骨精神をエネルギーを頼りにがむしゃらに前に進んだ。そこには失うもののない強さと、才能よりも継続を武器にレンガを積み上げた。
不器用でもまずは動いてみる事。難しく考えて見ても仕方ない。そもそも難しく考えることが得意ではないから。
日本でも認知し始められたデザイナーの重要性
実はこのイベント、やろうと決めてからのリードタイムは約3週間。告知もあまり行えなかった。それにもかかわらず通常チケットは発売直後に100枚近く売り切れたのはとても嬉しかった。日本でもデザイン、そしてデザイナーへの関心少しずつでも高まっている気がした。
これまでは見た目のデザインを行うと考えられて来たデザイナーの仕事も、アメリカ西海岸のトレンドを中心に、ビジネスの根幹にも重要性が高まって来ている一つの例だろう。
デザイナーがグローバルで活躍するためには
そして、デザイナーがグローバルで活躍するにはどうしたら良いのだろうか?イベント後にこんな質問が多く寄せられた。具体的には方法は2つあると考えられる。
一つはMasaのように自分の得意なスタイルをとことん追求し、それを武器に世界規模で勝負すること。これにはかなり高いスキルへのフォーカスが必要となる。
もう一つの方法は、Fumiのように見た目のデザインだけでは無く、サービス全体やビジネス全体に影響するようなデザインフィールドのスキル、具体的にはUIやUX, サービスデザインなどを広く勉強していくこと。
そして実は最も重要なのは、とりあえず一歩踏み出してみる事。今回の二人も一歩踏み出すことで、全てが変わった。おそらく日本を出た頃の彼らのスキルはこれを読んでいる皆さんと同等かそれ以下だったはず。怖がらずにまずは行動してみることが重要だと思う。
Masaがデザインしたbtraxの名刺をFumiが一枚だけ名刺入れに入れてた
ちなみに、イベント開始前に控え室で3人で話していた。働いていた時期が被らない2人に対し、「現在も使われているbtraxの名刺はMasaがデザインしたものだよ」そんな事をFumiに伝えてたら、「僕今でも一枚持ってますよ。お守りとして」と名刺入れには彼が憧れるカヤックの柳澤さん、DeNAの南場さんの名刺と共に、当時使っていたbtraxの名刺が入っていた。
Masaがデザインした名刺をFumiが今でも大切に持っていてくれた。これは本当に嬉しかった。二人とも僕なんかよりも全然凄くなっちゃったけど、これからもよろしくね。
筆者: Brandon K. Hill / CEO, btrax, Inc.
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