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震災から這い上がった起業家 その経営哲学とは
JapanNight過去出場者インタビューシリーズ第1弾は福島を拠点とするEyes, JAPANのCCO、山寺純。震災をきっかけにFUKUSHIMA Wheelというサービスを開始。
楽しく自転車に乗りながら、放射線、騒音、渋滞などの環境情報を測定し、世界中の都市問題の解決を目指している。福島の看板を背負い自転車を片手に世界へ挑戦する静かなる熱き起業家、山寺純氏にインタビューを行った。
プロダクトのきっかけは福島の震災
Fukushima Wheelを製作した経緯、きっかけを教えてください。
きっかけは東日本大震災ですね。私の出身の会津若松って、観光業で成り立っていた町なんですよ。そんなところで地震が発生し、観光が産業として成り立たなくなってしまったんです。
私は観光業ではなく、インターネットサービスを行っていましたから直接の影響は受けませんでしたが、これから人生のうしろを考えて仕事しないといけないなと強く思いました。
今でも福島ではホットスポットなどの放射線がとても大きな問題です。ただ、そんなものを測定するのって楽しくないですよね。でも自転車を乗ることって楽しいことだと思うんですよ。
実は高校生のとき、当時好きだった女の子に会いに自転車で京都まで行ったという楽しい思い出があって。(その女の子には最終的にふられたんですが(笑))
それで自転車を楽しく乗りながら、バックグラウンドで特に意識する事なく放射線や環境データを測定出来ればと思って始めたのがFUKUSHIMA Wheelなんです。
会社の社員を残して逃げる事なんて出来なかった
震災の後に他の場所に移動する事は考えなかったのですか?
正直自分はとてもいい加減な人間だと思っていたんです。でも実際に100キロ離れたところで原発が爆発して、自衛隊がヘリで上空から水をかけていたじゃないですか。海外の友達から、今すぐ逃げろとたくさん連絡が来て。実際、海外に友人も多いですし、お金も少しはあったので逃げることはできたかもしれません。
でも、船が沈むときを想像してみてください。船長がこれから船が沈むと分かっていたときに一番最初に逃げたら、周りの人みんなそんな人は信用できないですよね。だから、会社のスタッフを残して逃げる事なんてできなかったですし、仮にもし自分が逃げるにしても最後かなと思ったんです。
直接死ぬ体験をしたわけではありませんが、正直あのとき死生観が大きく変わりました。スティーブジョブスが、今日は人生の最後の日と思って毎日過ごしていたと聞きましたが人間って普通は毎日自分の死を意識していないと思います。
この震災の経験を通して、いつ死ぬかわからないと常に感じられるきっかけにもなりました。また故郷でもある福島には一層思いが強くなりました。
日本中と海外を移動し続けることで、福島で大都市より面白いことができる
だからプロダクトにもFUKUSHIMAを入れているんですね。
はい。スタートは故郷の震災がきっかけだったので。
自転車って普通、両輪がありますよね。片方の車輪がFUKUSHIMA Wheelだとすると、もう一つはあなたの都市+Wheel、そういうイメージですね。というのも放射線だけにこだわっているわけではないんです。福島は放射線汚染の問題があるけど、例えばニューヨークやサンフランシスコだと渋滞や騒音。北京は大気汚染だとか。それぞれの都市が抱える問題点を自転車で解決できればなと思っています。
拠点もまだ福島ですか?
それについてはまず、会社のドメインについて話しますね。
実は会社のドメインはeyesjapan.co.jpではなく、nowhere.co.jpなんですよ。「No Where どこにもない」「Now Here、今ここにいる」と2通りの解釈ができます。というのも1年の3分の1は東京や関西、3分の1は海外、残りの3分の1は会津にいるんですよ。
アントレプレナーって自分の責任で全てコントロールしたいわがままな人だと思うので、何にも縛られたくないんです。ただ究極的に突き詰めていくと、どんなに頑張っても国家の制約からは離れられないですよね。例えば日本の法律とか規制とか。そういう意味で究極のフリーはなかなか実現できないです。
そこで、常に滞在する拠点を持たない事で、できるだけ様々な制約に縛られないようにしています。また福島をはじめとする地方都市だけにいると、田舎だからなかなか何も起きないんですよ(笑)。でも東京や海外に積極的に行くことで、インタラクションによって摩擦が生まれ、新しい何かが始まる気がします。
一世を風靡したフランスの哲学者、ジャック・デリダの言葉で”アイデアと移動距離は比例する”という言葉があります。日本中と海外を移動し続けることで、福島でも大都市よりも面白いことができるかなと思っています。
なぜ福島にも拠点を持ち続けているんですか?
福島って今も廃炉とか少子高齢化とか、様々な問題があるじゃないですか。日本は東日本大震災が無かったとしても、あと20〜 30年くらいで同じ問題に直面して静かに死んでいったと思うんですが、福島は震災のおかげでそういった危機が早まり、未来の課題の最前線にいると思います。私たちのスタッフは、全員ハッカーというかチャレンジ好きで。より困難な高い山に上りたいんですよ。
そういう面では、シリコンバレーになんで行くかって山がとびっきり高いからです。
福島は今現在、ロボット、廃炉、地域コミュニティの崩壊など、これから日本や世界が直面するであろう課題の最先端にいるんです。そういう意味では福島にいる意味って大きくあるのかなって思います。
なんで自分がやらなきゃいけないのかというパーソナルストーリーがないと、薄っぺらいただのビジネスでしかない
海外からの風評被害はどう感じていますか?
時間の針は戻す事ができないので、使えるものはなんでも使った方が良いと思っています。どのみち、福島と言った時点で色んなイメージがついて回るのであれば、ポジティブなプロジェクトに使えば、とても有利に働きます。
1つ例を挙げます。様々な会社がいろいろなサービスや商品を世の中に出しています。その中で、会社がどうしてそのサービスや商品を出さなくちゃいけないのか?その必然性を感じられないものが一般的かと思います。
それと比べると福島の場合は震災が実際に起きて、困っている人がたくさんいて、実際に課題やニーズがありました。逆に言うと、例えばFUKSHIMA Wheelは、福島にいる私たち以外やる必然性も全くないですし、そもそもやる発想すら生まれてこないと思います。
どうして自分なのか?パーソナルストーリーから社会的テーマに昇華する。そういうところのパーソナルストーリーがないと、何をやってもそれは薄っぺらいただのビジネスでしかないです。
JapanNight出場後、より高い山に上ってみたいという気持ちが明確になってきた
前回JapanNightに出場されていましたが、出場経緯を教えてください。
実は今までサンフランシスコには30回弱くらい行ってるんです。友人もいるし、元スタッフもシリコンバレーで働いていますし、カルチャーも良く知っています。ただシリコンバレーのVCの人ってなんとなくビジネス、ビジネスって感じが強かったんです。でもオーガナイザーである、btrax CEOのブランドンは若いし、シリコンバレーを体現しているロックスターのような感じがして。なんかかっこいいなと思い応募したのがきっかけです。
JapanNightはどうでしたか?
実際、JapanNightみたいなピッチバトルって日本だとかなり珍しいですよね。エッセンスを絞って、良いところをどうみせるか。ラッパーのラップバトルのようなものですね。
こういう事をやったことがなかったので、自転車という飛び道具もありましたし、とても良い経験でした。また他のチームとも競争というか、すごいサービスも多かったので大変刺激を受けました。そういう面ではRingさんなどと、同じタイミングで出れてとても良かったと思います。
出場後、より高い山に上ってみたいという気持ちが明確になってきました。どうせやるなら世界のトップのシリコンバレーでやったほうが良いかなという思いが確かになりました。
また色んな人にジャパンナイト出てたよね、と国内外問わず聞かれることも多くて、これがきっかけで注目されましたし、コネクションも広がりましたね。
JapanNightでのプレゼンの様子はこちら(動画)。
発明から200年経っている自転車にイノベーションを起こしたい
プロダクトのFUKUSHIMA Wheelに関してお聞かせ下さい。
FUKUSHIMA Wheelとは簡単にいうと自転車を使った「車輪の再発明」を行うプラットフォーム全体のことで、大きくわけて3つの要素があります。
一言で言うとスマートシティ向けの自転車のサステナブルなプラットフォームです。まず1つ目にスマートフォンのアプリと連動して、ナビゲーションしたり、クーポンを表示したり。またどこに自転車があるかのビックデータから、都市のリソースを最適化し、シャエサイクルの配置をゲーミフィケーションを使って効率的に行うことができます。
2つ目はセンサーです。自転車に楽しく乗りながら、様々な環境データを自動的に測定できます。現在では放射線だけではなくCO、NOX、 気温、湿度など様々な環境データを移動しながら収集できるようにしています。
3つ目は車輪装着型のLEDです。シェアサイクルはただ自転車を貸してその対価をもらうだけなのでそもそも儲からないビジネスモデルです。また誰も自転車に乗ったら誰かからお金をもらう事はないですよね?自転車発明から200年経ちましたが、まだ大きなイノベーションはおきていません。
そこでアメリカのパートナーと一緒に、自転車の車輪にLEDをつけることによりそこに位置情報や時間に合わせて広告を出すことでより持続可能なビジネスモデルを考えました。またこのLEDは夜間の事故防止にも役立ちます。
JapanNight後の海外展開はどう進めてきましたか?
まず復興庁の支援も受けSXSWにも2年連続で出展し大変大きな反響がありました。また海外のディスカバリーチャンネルなど様々なメディアにも取り上げられたりもしましたし、良いスタートができました。
今は海外のパートナーと海外展開の話を進めていますし、日本の大きなスポンサーからも協議中です、グローバルサービスなので場所には特にこだわらず日本から始めて海外に輸出しても良いですし、北米で始めて国内に逆輸入しても良いかなと考えています。オプションは多い方が良いですからね。
日本から始めるか、海外から始めるかは特に気にならないですか?
一応福島に住んでいますから、東京まで車で3時間、大阪まで飛行機で2時間半、そしてサンフランシスコまで飛行機で8時間。どのみち移動時間は大して変わらないですし、英語が話せれば大きな違いはないかなと。そう考えるとエキサイティングな方が良い。山が高い、チャレンジングなサンフランシスコなどは大変魅力的ですね。
やりたいことは自転車のプラットフォーム化
これからの展望を教えてください。
場所にはこだわらず最初からシリコンバレーでも成功するモデルをですね。今までは日本で成功して海外へ、というのが主流だったかもしれませんが、そこは特に気にするポイントではないですね。
なぜですか?
やりたいことはグローバルサービスである自転車のプラットフォーム全体のデザインという大きいビジョンですから。
自転車のマーケットといったらやはりヨーロッパなんですが、まずは北米からはじめてみたい。というのも世界最高のVCはシリコンバレーに集中しているからです。
またヨーロッパではマスまで自転車文化が普及していますが、今アメリカで自転車に乗っているような人はお洒落なアーリーアダプタが多いので、自分たちのクールな自転車のプラットフォームをアーリーアダプタにぜひ体験してもらってみんなにどんどん宣伝してもらいたい。
最後に、座右の銘を教えてください。
INVICTUS – William Ernest Henleyの全文ですが、特に最後の2行が好きです。
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.
INVICTUS – William Ernest Henleyの全文はこちら。
プロフィール
山寺純 FUKUSHIMA Wheel CCO (Chief Chaos Officer)
高校卒業後、大学は行かず、Disney Landのジャングルクルーズ船長、会津大学の通訳翻訳員として活躍。その後、インターネットの可能性に気づき、1995年にEyes, JAPANを創業し、来年で創業20年を迎える。また東北大震災をきっかけにFUKUSHIMA Wheelを始め、福島から世界へ、ヘルスケアやセキュリティ、ロボット、人工知能などテクノロジーの様々なエッジを追い続けている。また第6回JapanNight決勝進出を果たしている。
photo by btrax
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