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会社設立7周年に際して – The History of btrax –
本日、8/9でbtrax(ビートラックス社)は、7周年を迎える。2004年の同日より未熟な経営者のわずかなる自己資金を元手に細々としたスタートを切り、多くの紆余曲折を経て、何とか現在までたどり着く事が出来た。
それはなにより、辛抱強くサポートしてくれた優秀なスタッフの皆と、他ではないクライアントの方々のご協力おかげであり、文章には出来ないぐらい感謝している。また、かなりきわどい局面をくぐり抜けられたのは、己の悪運の強さだと自負している。
一説にはアメリカでの新規ビジネスの約半数が3年以内に倒産し、その内で6年以上続く会社は半分以下と言われている。恐らく7年続く会社は新規立ち上げ数全体の2割りに満たないと推測される。また、厳密な意味での”スタートアップ” は設立6年以内の会社の事を指し、それ以上はEmerging Companyと呼んだりもする。
運良くここまでたどり着いた事を記念し、この7年を振り返り、幾つかのターニングポイントや修羅場、面白エピソードをこれを機に経営者の視点から紹介したいと思う。
デザイナー1人+アシスタント2人でスタート
現在スタッフは20数名であるが、会社設立当初は自分をデザイナーとし、インターンアシスタントを2人採用する形で始めた。元々学生の頃からWebデザイナーとしての仕事をしていたので、その延長線上での仕事が多く、フリーランス+αぐらいの感覚であった。資本金も極わずかだったため、アシスタントの2人は最初の3ヶ月を無給インターンとした。若気の至りか、自分は世界最高のWebデザイナーであるとの思い込みで、インターンには “僕と仕事をしたら最高の経験が得られる” と大風呂敷を広げた。そのおかげで日本での社会人経験が豊富なスタッフ等の獲得に成功した。もちろんオフィスは自宅アパート、パソコンは数年落ち。
インターンに度肝を抜かれ、経営者に転向
その後地元の美大に通う学生Sを夏期インターンとして受け入れたのが一つの転機となった。初日からそれまで自分が制作していたFlashサイトのプロジェクトのアシスタントを頼んだ。そのプロジェクト(自社サイト)は、その当時から考えるとかなり複雑な動きを実現する為に、数ヶ月の制作期間を掛けていた。それ故、相当複雑なスクリプトが組み込まれたファイルは、無数のバグが発生し,作った本人も把握出来ない程の構造になっていた。
ファイルを開け、中身を見た数分後、Sが一言 “これ、一度全て最初から作り直しても良いですか?” まあ、当然無理だと思うが、とりあえずやらせてみた。その数週間後、彼は一からすべてを書き直し、見事に本来望んでいた完璧な動きを完成させた。その瞬間、自分の名刺の肩書きをCEO/Chief Designerから、CEOに変更する事を決め、彼にChief Designerの称号を贈呈した。(彼はまだ学生)
12社のコンペを勝ち抜き大手の仕事をGet
時は2006年春、大手オンライン旅行企業の日本向けローカリゼーションスタッフの求人を偶然見つけ、早速応募した。就職希望ではないが、企業からのサービス提供として応募したい旨を伝えると、そのオプションも考慮してもらえる事に。しかしクライアントは他に競合12社を発掘し、コンペに掛けられる事になった。自分が提案した企画なのに、他社に取られるのはどうしても悔しい。Chief DesignerのS (彼はまだ学生) に “これが取れなかったら腹を切れ” とむちゃぶりをし、週末+徹夜でコンペ作品を完成させた。合否発表の日が過ぎても先方からの連絡が無いので、こちらから問い合わせると、クライアント側の担当者Tが、”あー、連絡遅れてごめんごめん、あのプロジェクト、君の会社に頼む事にしたよ。”
それまでには考えられない規模のプロジェクトであり、これが会社のその後の運命を決定付けたと言えるであろう。ちなみにクライアント担当者Tは、現在独立しサンフランシスコ近郊の街にてGlassdoorという会社を経営している。今となっては親友の1人である。彼はその当時を振り返り、”ぶっちゃけお前の所は一番実績が無かった、提案書の内容もひどかった、値段も一番高かった、でもデザインが最高だった。結果的には払った金額の何倍もの仕事をしてくれたよ。” と言ってくれたのが大きな喜びである。
アメリカの大企業から学ぶ
コンペに勝ち抜き、Chief DesignerのS (彼はまだ学生)と共にシアトルにあるクライアントの本社オフィスへ飛んだ。初期のミーティングの為、3週間オフィス近くのホテルに泊まり、クライアントのプロジェクトチームと共にビッチリ擦り合わせを行う。
ちなみにまだ卒業前のS (クライアントは学生だとは知らない) には有名企業のプロジェクトに関わる為に、学校から特別休暇を取ってもらった。日中ミーティング+徹夜でコンセプト作り=翌日にデザインプレゼン、の毎日が非常に刺激的であった。
今から考えるとこの3週間を通し、アメリカの企業、特に大企業の仕事に対する極合理的な進め方、コミニュケーション方法、社内外スタッフを含めたプロジェクトチーム作り、ミーティングの進行方法等々、多くの事柄を学ぶ事が出来たのが、今でも収益を超えた貴重な財産である。
ちなみに、そのプロジェクトは6ヶ月続き、アメリカ、イギリス、インド、日本のチームが関わった。こちらからの提供サービスも、デザイン、コンサルティング、コピー作成、ローカリゼーション、コーディング、ユーザビリティーテスト、マーケティング等多岐に渡り、非常にダイナミックな経験を得る事が出来た。
スタッフが軒並み退社 (とその理由)
良い事は長くは続かず、会社最大の危機は突如訪れた。経営者としてまだまだ未熟だった自分が会社の成長スピードについて行けずに、立ち上げより関わってくれていたスタッフが短いスパンでどんどん辞めて行った。ある程度事業が軌道に乗り始めたことで、初心を忘れ、仕事をこなす事ばかりに集中してしまった為に、経営者としてのビジョンが薄れていた。また、人事に関してもド素人だった為に、スタッフには非常にアンフェアな思いをさせてしまった事を今でも後悔している。その当時去って行ったスタッフに言われた言葉を今でも自分への戒めとして読み返したりする。彼らが退社した当時理由として言われた一部をここで紹介:
- 「大きなプロジェクトが取れたのは、まぐれだと思います」
- 「このポジションは普通はもう少し給料が良いはず」
- 「最近がんばっているので、ボーナスを要求します」
- 「こんな仕事のやり方ではやっていけません」
- 「この会社には将来性が無い」
この頃はとても辛い時期であったが、今から思い返すと一番自分が経営者として成長出来た時期でもあった。
アメリカ人スタッフ第一号
立ち上げ時のスタッフが一通り去った事で自己反省し、全てを一から見直す事にした。その一環として、社内カルチャーをアメリカにする事にした。実は立ち上げ時のスタッフは全て日本人であり、社内言語は日本語、カルチャーも恐らく若干日本っぽかったのかもしれない。
しかし、勝負している市場はアメリカであり、クライアントの大部分がアメリカの企業。やはり、当初の構造ではかなり無理があった。振り返ると最悪の時期は、日本とアメリカのカルチャーの悪い所取りになっていたのかもしれない。そこで次から入れるスタッフもアメリカ人にする事に。運良く僕自身がアメリカ人であるので、次に入れる社員が”社内唯一のアメリカ人”という事実は成立しない。
なるべく日本に興味のある人に応募してもらう事を目指し、日本に住んでいた人を中心に募集を掛けた。その求人に対していち早く応募したのが、現在ではマーケティングの責任者であり、経営者の右腕でもあるTである。長身、金髪、透き通るような蒼い目の美青年の面接時の最初の質問が、”この会社は日本風の会社ですか?新人はお茶汲みから始まりますか?そうであれば僕は興味ありません。”
会社の立て直し時に彼を入れたのは大正解であった。残業は滅多にしないが、全てを合理的に進め、会社の成長を長期的に考え、積極的に人材発掘に務める。どんなアイディアでも良いので、ミーティング時には全て議論してみる。クライアントへのプレゼン時は150%大げさに。
社内では目が鋭いのに、オフィスを一旦出るとパーティー三昧。そして何より超ポジティブ思考。彼の、”Everything will be alright” には幾度と無く助けられて来た。会社が一番大変な時期に愚痴を一つもこぼさず、ひたむきに協力してくれた彼には大変感謝している。
多国籍軍編成完了
その後も、社内カルチャーの変革を進め、より制約が少なく働きやすい環境の提供を目指した。地元の他のスタートアップがどのような環境作りをしているかをイベント等を通じ学び、翌日から採用したりもした。スタッフも日本人アメリカ人の他にも中国系や、他の国、文化のバックグラウンドを持つ人を積極的に採用した。
おかげで現在でもスタッフの全員が二カ国語以上を話すバイリンガルである。また、多種多様の文化が混ざり合う事で生まれるクリエイティブな発想や、アプローチは他の会社がマネのしにくい一つの武器となった。
不採用でもあきらめない志願者
一つのポジションに対して、最終的に二人採用した事もあった。むしろ厳密には不採用にしたのだが、ゾンビの様に復活した。現在Social Media Manager, そしてVP of Operationsを兼任するGは、1年程前の面接時には即不採用だった。しかし、大手企業をレイオフになった彼は、その後も連絡をしてきて無償でも良いのでブログやSocial Mediaを手伝わせてほしいと頼んだ。そ
の後、3ヶ月だけのつもりでお願いしていたが、気がついた頃には、他のスタッフが嫌がる事を率先して行い、日時を問わず会社の貢献に従事する誰よりも働き者になっていた。アジア系アメリカ人の彼は、誰よりも辛抱強く、視野が広い。”前の会社から破格のオファーが来たけど、俺はお前の会社で頑張る事にしたよ” と言われた時は、面接時での経営者としての勘が初めて間違っていた事を痛感させられた。
イベント参加/開催
2007年頃よサンフランシスコ界隈でのスタートアップシーンが急激に活気を帯びて来た事に伴い、市内で多くのイベントが毎日の様に開催される様になった。無料でためになるセミナーを受けられる上に、多くの場合ピザやビール等が提供されるイベントには自分を始め、スタッフも夢中になった。
また、パーティー形式のネットワークイベントでは,著名な地元スタートアップのファウンダーと知り合えたりするのが、妙にお得な気がした。その中でもネットワークタイム+特に毎月注目のスタートアップが新規サービスのリリースプレゼンを行う、SF New Techが一番のお気に入りになり、気がついたら共同運営+Japan Nightの開催も行う様になっていた。去年の第一回に続き、今年6月に第二回が行われたSF New Tech Japan Nightのイベントは、回を重ねるごとに注目度が集まり、日本発Webベンチャー企業の登竜門的存在になりつつある。
日本企業に向けてのサービス展開
2011年に入り、大変有難い事に、多くの日本企業クライアントに対して海外進出向けサービスを提供させて頂いている。基本的な戦略立案から、グローバル市場向けブランディング、ユーザビリティーテスト、UI/UXのデザイン、 ローカリゼーション、アメリカそして海外向けのPR/マーケティングまでのサービスを通じて優れた日本企業の商品やサービスの認知度をアップし、クライアントの成功に貢献したいと考えている。また、サンフランシスコやシリコンバレーへ進出を考えている日本のベンチャー企業と、現地投資家とのマッチングも出来る範囲で行っている。
8年目は日本の国内窓口を活用し、より多くのクライアントに対しての高品質サービスの提供、日本以外のアジア市場に関するサービスの確立、そしてL.A., N.Y.のオフィス開設に向けて積極的に進めて行きたいと思う。そして何よりより良い社内カルチャーの確立と、結果に結びつく為のサービスクオリティーの向上に対して日々邁進して行く。
ps. 内容が大変自己満足的になってしまったのをお許し下さい。
筆者: Brandon K. Hill / CEO, btrax, Inc.
【イベント開催!】Beyond Borders: Japan Market Success for Global Companies
日本市場特有のビジネス慣習や顧客ニーズ、効果的なローカライゼーション戦略について、実際に日本進出を成功に導いたリーダーたちが、具体的な事例とノウハウを交えながら解説いたします。市場参入の準備から事業拡大まで、実践的なアドバイスと成功の鍵をお届けします。
■開催日時:
日本時間:2024年12月6日(金)9:00
米国時間:12月5日(木)16:00 PST / 19:00 EST
*このイベントはサンフランシスコで開催します。
■参加方法
- オンライン参加(こちらよりご登録いただけます。)
- 会場参加(限定席数) *サンフランシスコでの会場参加をご希望の方は下記までお申し込みまたはご連絡ください。(会場収容の関係上、ご希望に添えない場合がございます。予めご了承ください。)
- 対面申し込み:luma
- Email(英語):sf@btrax.com
世界有数の市場規模を誇る日本でのビジネス展開に向けて、貴重な学びの機会となりましたら幸いです。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。