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トイレットペーパー買い溜めをデザイナーとして分析してみた
- トイレットペーパーが売り切れの論理的理解:1人当たりが使うトイレットペーパの量に変動はなくても、「家庭用の」トイレットペーパーが自宅隔離で必要になっている
- 一方で、論理的に解釈できない理由こそ、人間の心理・価値観を表している
- ①ガラガラになった商品棚。抱きかかえられたトイレットペーパー。見た目のインパクトによる購買掻き立て
- ②他人の行動を見て自分の行動を決める
- ③非常事態下で自宅隔離という「手持ち無沙汰感」
- 解決策のポイントは、人の心理・価値観を理解した自由と制限、信頼のバランスにあり
はじめに
「まるで映画の中に住んでるようだ」とbtrax CEOのブランドンが語った。どんどんゴーストタウンと化していくサンフランシスコの街を見ながら、2人でそんな話したのが3月の末。
それから状況は目まぐるしく移り変わった。今では同じ景色を見ながら話すことどころか、家から出ることさえも気を遣わざるを得ない。
この時代に我々は何を発信するか。それはやはり「人間について」ではないかと思っている。我々デザイナーは「人間中心」を専門とする人として、この時代における「人間の行動や価値観」についての発信にチャレンジしてみたい。
なぜトイレットペーパーが売り切れるのか
この記事では「スーパーやドラッグストアで起こっている買い溜め行動」について注目してみたい。買い溜めの対象はトイレットペーパーだ。デザインプロジェクトのフレームワークに当てはめて、トイレットペーパー騒動のユーザー像とシーンをもう少し具体的に設定するとこうなる。
「義務教育を受けた平均的な収入を得ている国民による、スーパーやドラッグストアでのトイレットペーパー買い溜め行動」である。
ここで大学教育を受けた平均的な収入を得ている国民たちとしたのは、思考力と意思決定の質の担保である。また、トイレットペーパーに注目したのは、トイレットペーパーそのものはウイルスの感染防止や治療に効果があるものではないからだ。
このような前提のもと、なぜある程度の自己問題解決能力を持った人が、ウィルスの拡大・感染防止になんの役にも立たないトイレットペーパーを買い込んでいたのだろうか、を熟考してみる。
論理的に説明できること
まず論理的な説明を試みてみたい。ここではフェルミ推定を用いる。日本における、1日のトイレットペーパーの需要を表すとおおよそ以下のようになる。
“国民の数 × 1人の1日あたりのトイレの平均回数 × 1回のトイレで使うトイレットペーパーの平均使用量”
排泄量などの多少の変数はあるが、簡略化する為にここでは固定値として考える。つまり、トイレの回数が増えるわけでもなく、1回のトイレットペーパー使用量が増えるわけでもない。
よって、日本におけるトイレットペーパーの需要は、コロナが蔓延しようがしまいが理論上変わらない。これは国民1人レベルに落としても同じことが言える。
しかし、実際に生活を振り返り想像してみると「どこのトイレを使うか」が異なることに気が付く。1人あたりのトイレットペーパーの消費量は変わっていないが「自宅で使う量」割合は増えている。
なのでトイレットペーパーの買い溜めは買い溜めではなく、単純に自宅での消費量が増えたから買っているだけであるとも言える。
ここで視点をミクロへと広げる。すると、これは配置の問題であるように見えてくる。日本全体のトイレットペーパーの消費量が変わってない以上、どこかに余剰があるはずである。そう、会社やカフェ、レストラン、居酒屋だ。
単純に考えると解決策は会社やレストランにあるトイレットペーパーを自宅に回すことである。しかし、ここで1つ仮説がある。そもそもB2CのトイレットペーパーとB2Bのトイレットペーパーはそもそも製品として異なるのではないかということだ。
自身の感覚値としても、会社と自宅のトイレットペーパーの質は異なる。会社で使う薄っぺらいトイレットペーパーはスーパーでは売られているところに遭遇したことは無いし、その逆もまた然りだ。サプライチェーンの構造も根本的に違うだろうだろう。
つまり、トイレットペーパー全体の需要は変わっていないとしても、会社用の需要は減り、自宅用の需要は増えているのだ。そしてスーパーが担保しているのは後者の需要であることから、欠品が続出しているのはある意味当たり前とも言える。
論理的に説明できないこと
これが「トイレットペーパーの買い溜め行動」に対するある程度説明の付く理由である。しかし、これだけだと説明できない事象が発生している。例えば、以下だ。
- 需要の上昇量と購買量がイコールでない。
- 普段から自宅に居る層の行列が目立つ。
- リモートワーク前からトイレットペーパーの買い溜めが目立っていた。
これらの事象は論理的な説明が難しい。そこで、以降は人間の心理に注目してみたい。
原因1. 文字よりもビジュアルから情報を得る
まずはじめにトイレットペーパーのそのビジュアルに注目したい。トイレットペーパーは言うまでもなく幅をとる商品だ。そのため、スーパーで売っている他の商品と比べて売り場の占拠率が非常に高い。
(BARCROFT MEDIA VIA GETTY IMAGES)
これがいきなりが無くなっていくとビジュアルのインパクトが大きい。トイレットペーパーをたくさん持っている人の方が「映える」。ブランドのショッパーを持って街中を歩くことが宣伝になるように、トイレットペーパーを持って帰る人たちはそれぞれが広告塔となり、他の人たちの行動を誘導しているのだ。
SNSの普及によって我々は情報をよりビジュアルから得るようになった。「焦らないで」という文字以上に「トイレットペーパーを両手に抱えている写真」から情報を得ているのだ。
原因2. 他人の行動が自分の行動に作用する
トイレットペーパーに群がる人たちを見て、思い出したのがこの動画だ。スタートアップの創業者やデザイナーに関わらず、多くの人が観たことがあるのではないだろうか。
ニュースで取り上げられている社会的なムーブメントもたった1人の行動から生まれていることも少なくない。たった1人がデマに惑わされ、トイレットペーパーを大量に買うだけで、指数関数的に他の人にも伝播し、“ムーブメント”と呼ばれるにまでなりえる。
人間とは他の人の行動が自分の行動に影響する生き物である。それが不確実で不安定な状況下であればあるほどその傾向は強くなる。理論や言説でなく、他人の行動を見ながら「何が安全で何が危険なのか」を判断する。これが頭ではわかっていても、トイレットペーパーをついつい買ってしまう人の心理だろうではないだろうか。
原因3. 「非常事態宣言」→何かしていないと落ち着かない・無力感を感じたくない
「ロックダウン」や「非常事態宣言」とよくわからないがなんだかヤバそうな言葉が並ぶ。人々の危機感を煽る為と予測するが、それが逆方向に向いてしまっているのかもしれない。
例えば「国が非常事態です。今まで以上の労働を求めます。」であればその危機感の吐き口を見つけられるが、「国が非常事態です。とにかく家に居てください。」だとなんだか手持ち無沙汰な気がしてしまう。
危機が「未だかつてない」と言われれば言われるほど何か行動を起こさずにはいられない。それが、「必要以上の備え」を煽っているのではないだろうか。
またそれと同時に「ただただ家でじっとしてる」という行動には「満足度」が薄い。今でこそ「一日中家に居る」ことで「有意義な一日だった」と思える人も増えているだろうが、コロナが蔓延する前は「堕落してる」とすら捉えれてもおかしくない行動であった。
「STAY HOME」で「有意義だった」と思えないからこそ、ある意味「無駄な行動」を起こしてしまう。その対象になっているのが、「トイレットペーパーの買い溜め」という訳である。
心情を埋める為に行動している
上記が論理的に説明できない心理的作用による理由の仮説である。ここから考察できることは、「感情を得る為や埋める為に行動している」ということだ。
例えば、このような状況下であっても自由に購買行動を行える「コントロール感を得る為」や、目まぐるしく変わる状況に取り残されない為の「恐怖感を埋める為」、緊急度と自分の行動が比例してないと思ってしまうことから生まれてくるような「手持ち無沙汰を埋める為」、そして自分の「無力感を感じないようにする為」といった具合である。
解決策は国民同士の信頼関係
ここまで「トイレットペーパーの買い溜め行動」に注目してその理由を論理的な視点と心理的な視点で考察してみた。それでは、どのように対応すればよいのか?
当たり前であるが、「供給を増やす」は1つの解決策である。需要と供給が均衡に近付き、全員が必要な分だけ物資を行き渡らせることができる。しかし、これにはある一定の時間がかかる。
更に上記で考察したように、消費者は本質的なトイレットペーパー需要が増えたからではなく、その「コントロール感を得る為」や「恐怖感を埋める為」、「手持ち無沙汰を埋める為」に購買活動をしている。この場合どうすればよいか。
ここでは「国民同士の信頼関係の構築」を挙げたい。なぜならこの現象の本質的な問題の1つとして「他人への期待値の不明瞭さ」をあげられるからだ。
周りの人がこの状況下でどのように行動するかがわからないが故に必要以上の備えを蓄える。逆に言えば周りの人が普段と同じような行動を取ると知っていれば、必要な時に必要なだけいつも通り買えばよい。
しかしこの問題が厄介なのは、個人が行動を変えるだけでは解決できない点だ。むしろ1人負けの状態になってしまうことが容易に想像できる。
そのため、「全員が行動を変化させること」が非常に重要である。全員が同じタイミングで通常の購買行動に戻れば、以前の均衡に落ち着くはずである。その実現において必要なのが、「国民同士の信頼感の醸成」である。これは国民全員がメンバーのチームビルディングの問題なのだ。
自由の国 日本と制限の国 アメリカ
チームビルディングから少し派生して、国と国民との信頼関係という観点でニュースに流れてくる世界各国の状況と政府の対応を眺めてみる。するとあることに気が付く。コロナ状況下で、欧米はルールで以って国民を支配し、日本は国民に自由を与えているということだ。
これは今までのイメージとは正反対である。今まで自由の国を謳ってきた欧米がルールで以って国民を支配し、規制の国と嘲笑されてきた日本が国民に自由を与えている。
余白の量は信頼の量だ。小学生の時には厳しかった門限が、中学、高校、大学と大人になるにつれて緩くなっていく。親が成長する子どもの信頼していくからだ。そう考えると、強制力でもって国民をコントロールする姿勢は「アメリカはアメリカ国民を信頼していない」とも言える。
一方で「日本は日本国民を信頼し過ぎている」とも言える。「自粛をお願いする」という姿勢は命令よりも余白や自由が感じられるが、その結果事態が悪化したとすれば、自由な教育方針を言い訳に自分の子どもをコントロールできていない親と一緒である。「自由にさせる」と「コントロールできない」は似て非なるものだ。
つまり、「信頼」とは国民同士だけでなく、国と国民との間にも重要な要素である。新型ウイルスの収束という極めて科学的脅威に対しての有効な一手になるのが、「信頼」という極めて人間的な要素というのは、意外に思う人もいるかもしれない。しかし、経済や社会といった一見実態が見えないものでさえも、その構成要素はどこまでも人間であると気が付けば、納得感も生まれてくるのではないだろうか。
街中がエクストリームユーザー
人間の“不可解な行動”として「トイレットペーパーの買い溜め行動」に注目して筆を進めてきた。新型コロナウイルスの蔓延という未曾有の事態によって引き起こされる人間の特殊な行動は、非常に興味深いものが多い。
日々のプロジェクトでも「人間の行動のなぜ?」に注目してインサイトを抽出している私たちUXリサーチャーにとっては尚更である。普段ならエクストリームユーザーと呼ばれる、いわゆる「尖った人」をリサーチしないと見られない行動が街の至るところで起こっている。街には「深堀りしがいのある行動」で溢れている。
そのような行動を「例外的だ」と考慮しないのは勿体無い。むしろそういった「エクストリームな行動」の方が大切である。そこにこそ人の本質が隠れているからだ。
社会変革期におけるデザインリサーチの価値
この状況が続けば、行動だけでなく人の価値観も変わるだろう。価値観のレベルになるとそれはもはや不可逆である。通勤を無駄だと感じ、ドアノブに触れることが不潔に感じ、家族との時間を大切にするようになる、といった価値観レベルでの変化が起こる。
そんな時代においてどのような価値を社会にもたらしていくか?デザインリサーチは今以上の価値を持つだろう。デザインリサーチは人の行動や価値観のリサーチだ。例えば以下のテーマを設定して進める。
- 人々のコミュニケーションのカタチはどのように変わっていくだろうか?
- 人々の健康に対する意識はどのように変わっていくだろうか?
- 人々の余暇の過ごし方はどのように変わっていくだろうか?
この時代の変化を機会と捉え、新たな価値をデザインの観点から創出することに興味がある方は、気軽にこちらに連絡して欲しい。
Image credit: Indrid__Cold on Flickr | CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0/
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